Category: ‘レゲエ’

暗黒大陸じゃがたら 三

2013年8月22日 Posted by seki

「南蛮渡来」 二

2.「季節の終わり」

これは、パンキッシュなナンバーです。この「季節の終わり」は「詩人」江戸アケミの片鱗が垣間見られる詞を暴力的に投げかけます。

「何かが違う/ひとめくファッション・インテリ/快楽の象徴」との呟きではじまるこの「季節の終わり」は、JAGATRAの初期の魅力が凝縮したような一曲です。

そして、「BOY からみつく/歪んだ指の向こうに/繰り返す裏の裏が/季節の終わりは 機械仕掛けの/機械仕掛けの/ファシスト、ファシスト、ファシスト」とアグレッシブに江戸アケミが歌います。

ここに、鬱屈とした青春の未熟ながらも、世界に対して敢然と立ち向かうべく、その思いを強く感じる歌世界は、江戸アケミがその後抱え込む苦悩の予兆といった様相を呈したナンバーです。

この曲にニューウェーブの影響を読み取る人もいますが、これは、後にJAGATRAとして活動する暗黒大陸じゃがたらの初期のパンク色と何とも言えない哀しみが前面に出た名曲になるのではないでしょうか。

暗黒大陸じゃがたら 二

2013年8月20日 Posted by seki

「南蛮渡来」 一

1. でも・デモ・DEMO

「あんた気にくわない」とはじまるこの曲は、後にJAGATRAとして改名して活動する江戸アケミ率いるグループが暗黒大陸じゃがたら名義で、1982年5月に発表されたアルバム「南蛮渡来」の第一曲目を飾るファンキーな一曲です。

ギターのOTO(村田尚紀)が刻むファンク・ビートに江戸アケミの暴力的なヴォーカルが聴く者を煽情するかの如く「みんないい人、あんたいい人/いつもいい人、どうでもいい人/今宵限りでお別れしましょう」とか「せこく生きてちょうだい」、また、「日本人てくらいね」などなど、いづれも、強烈な言葉で、アグレッシブに聴く者を煽情します。

そこに、暗黒大陸じゃがたらの、若しくは、江戸アケミの覚悟のようなものを感じ、進むべき方向はファンクしかないというようなかなり思いつめたものを感じずにはいられません。

江戸アケミは、36歳の若さでこの世を去ります。その為にJAGATRAの曲全てに言える事なのですが、どれも江戸アケミの遺言に聞こえてしまう、それだけ、リズムに乗せて言葉を発せずにはいられなかった、江戸アケミの「存在」に対する真摯な態度が煽情的な言葉となって発せられているように思います。

この「でも・デモ・DEMO」は、そんな江戸アケミの「世界」に対する宣戦布告に違いありません。

暗黒大陸じゃがたら 一

2013年8月12日 Posted by seki

暗黒大陸じゃがたらは後の「JAGATARA」の前身バンドです。じゃがたらがその産声を上げたのは1979年、3月8日、江戸&じゃがたらとしてギグのようです。ギターにEBBY(永井章)、ベースに渡辺正巳が参加してじゃがたらお春と改名、アマチュア・ロックコンテストを荒らしまわり、審査員に毒づいたりと酷かったようです。江戸アケミ(vo)はあばれに暴れたようです。

1980年に財団呆人じゃがたら、財団法人じゃがたらとバンド名を変えてゆきます。パンキッシュで暴力的なライブを次々と行い、時にシマヘビを、時に鶏を食いちぎり、全裸で放尿し、それを飲み、まだ脱糞し、椅子を振り回し、客を追いかけ回したりと、江戸アケミの自虐的なステージは暴力に満ち、ヒューマニティの否定にあったようで、時に出血多量で救急車で運び出されることもあったと言います。

81年、4月に初シングル「LAST TANGO IN JUKU/ロックを葬り去る歌ヘイ・セイ」を発表。この時に、江戸アケミの過激なパフォーマンスがマスコミなどで話題となり、そのゲテモノ見たさの客ばかりとなり、江戸アケミは、それに嫌気がさし、音楽で勝負することを決意します。