Archive for: 𔃸月 2013’

暗黒大陸じゃがたら 七

2013年8月30日 Posted by seki

「南蛮渡来」 六

6.「ヴァギナ・FUCK」

この曲の構造はとても単純です。ファンク・ビートに載せて、江戸アケミがこの卑猥な言葉「ウァギナ・FUCK」とただ、繰り返し叫んでいるだけなのです。性的なものは、青春につきもので、「ヴァギナ・FUCK」と叫ぶ江戸アケミは、たぶん、その虚しさつも知っていると思われます。

ただ、「ヴァギナ・FUCK」と叫ぶだけにもかかわらず、さまざまに感情が胸奥に去来します。この曲は、聴く者を江戸アケミ流のやり方で、煽情していますが、この2分足らずの曲で、性的なこと全てを語り尽くしたかのような感じさえ受け、この曲の最後に「アンタ微笑を読んだのかい それならもっと上手にやりな/彼氏をアクメに誘い込む/とっておきのフェラチオを」と投げやりに、そして罵るかのように喚く、江戸アケミは、この性に対しても禁忌などなく、全てもさらけ出す覚悟が、この曲には感じられます。

ただ、「ヴァギナ・FUCK」と叫ぶだけの曲でしかないにもかかわらず、この曲は、饒舌に物事を語り掛けます。

ぶっ飛んだパンクなナンバーです。

暗黒大陸じゃがたら 六

2013年8月29日 Posted by seki

「南蛮渡来」 五

5.「アジテーション」

街の喧騒のような効果音からファンキーなギターフレーズに「CHU、CHU、……」とファルセットボイスでリズムに乗る中、江戸アケミが物憂く「忘れられたアジテーション」と聴く者を煽りながら、ファン・ナンバーを歌い出します。

「俺の身体を通り過ぎる/行き場の無い恨みを/人ごみの中、今日もはらす/もうこれ以上お前に/話す事はは何ひとつ無い/アジテーション」と、現代詩と言っても過言ではない歌詞を何かに八つ当たりするのをじっと堪えたかのように江戸アケミが吐き出すように歌います。

そして、ギターの挑発的なフレーズの後に「ふりかかる灰をかきわけ/投身自殺だ」と衝撃的な歌詞を歌います。

これはねもう、現代詩です。この詩は江戸アケミの文学的な才能の片鱗が見事に消化した強烈なナンバーです。

そして、この「アジテーション」は「忘れじのアジテーション」というリフレインで終わりを迎えます。

「アジテーション」と曲名がついているだけあって、この曲は、直接的に聴く者を「煽る」ことはなく、間接的に聴く者を「煽る」どこか、暗鬱な曲となっています。ここにも江戸アケミのやり場のない鬱屈した思いが凝縮されていて、このナンバーにも江戸アケミの《存在》論的な大問題を抱えてしまった人間というものの哀しき生きものの思いが控えめながらも強烈に放たれています。

暗黒大陸じゃがたら 五

2013年8月27日 Posted by seki

「南蛮渡来」 四

4.「タンゴ」

「ワン、ツー、スリー、フォー」と江戸アケミの掛け声で始まるこの「タンゴ」はJAGATRAを代表する一曲で、名曲との呼び声が高いナンバーなのです。

レゲエのリズムに哀しく乗るように江戸アケミのヴォーカルが哀しく響くナンバーで、「ひとつ、ふたつ、/みつつ数える前に あんたは/ひとつ、ふたつ、/みっつ数える前に 天国へ」という何とも意味深長な歌詞が何とも物悲しい雰囲気を醸し出します。

それがレゲエのリズムな事が更にこの曲を悲哀に満ちたナンバーに仕立て上げます。前曲の「BABY」のパンキッシュで煽情的なナンバーとの対比はバッグで、この「タンゴ」がこのアルバム「南蛮渡来」に収録されたことは奇跡のようです。全く以ってこの「タンゴ」はこの「南蛮渡来」、いや、JAHGATRAの数あるナンバーの中でも白眉な一曲です。
余り物事を語らずに、これだけ《存在》の悲哀が出せる江戸アケミの素質は抜群と言えます。

JAGATRAでは、パンクのように激しい曲があると思えば、なんだか哲学的な詞の内容を持ったナンバーが混然一体となって聴く者の魂に直接訴えかけます。

暗黒大陸じゃがたら 四

2013年8月23日 Posted by seki

「南蛮渡来」 三

3.「BABY」

「OH~、HEY/BABY、BABY、/BABY/BABY、それだけのことさ」とファンク・ビートを刻むギターのリフに乗って放たれる江戸アケミのヴォーカルに若者ならば誰でも抱くであろう、何者に対してでもない憤りのようなものを感じます。

JAGATRAの音楽には欠かせないホーンセクションの心に残る響きなど、怒りに満ちた祝祭のような味わいすら醸し出している一曲です。

何度も繰り返される「BABY」という言葉とは裏腹に、暴力的なフレーズが吐き出されるこの曲は、ファンキーなJAGATYRAの持ち味が存分に打ち出されているものとなっています。

「BABY」という言葉は、何度も聞いている内に心にこびりつき、まんまと江戸アケミの煽情に載せられてしまうのです。そして、知らぬうちに、自身の内部で「BABY」と叫んでいる己を見出しては、「やられた」と思わずにはいられない、アジテートする曲です。

この狂乱じみたJAGATRAが醸し出す祝祭に自然に参加させられてしまうのです。そして、いつまでも江戸アケミのヴォーカルによる「BABY」という言葉がエンドレスに繰り返されることになります。

暗黒大陸じゃがたら 三

2013年8月22日 Posted by seki

「南蛮渡来」 二

2.「季節の終わり」

これは、パンキッシュなナンバーです。この「季節の終わり」は「詩人」江戸アケミの片鱗が垣間見られる詞を暴力的に投げかけます。

「何かが違う/ひとめくファッション・インテリ/快楽の象徴」との呟きではじまるこの「季節の終わり」は、JAGATRAの初期の魅力が凝縮したような一曲です。

そして、「BOY からみつく/歪んだ指の向こうに/繰り返す裏の裏が/季節の終わりは 機械仕掛けの/機械仕掛けの/ファシスト、ファシスト、ファシスト」とアグレッシブに江戸アケミが歌います。

ここに、鬱屈とした青春の未熟ながらも、世界に対して敢然と立ち向かうべく、その思いを強く感じる歌世界は、江戸アケミがその後抱え込む苦悩の予兆といった様相を呈したナンバーです。

この曲にニューウェーブの影響を読み取る人もいますが、これは、後にJAGATRAとして活動する暗黒大陸じゃがたらの初期のパンク色と何とも言えない哀しみが前面に出た名曲になるのではないでしょうか。

暗黒大陸じゃがたら 二

2013年8月20日 Posted by seki

「南蛮渡来」 一

1. でも・デモ・DEMO

「あんた気にくわない」とはじまるこの曲は、後にJAGATRAとして改名して活動する江戸アケミ率いるグループが暗黒大陸じゃがたら名義で、1982年5月に発表されたアルバム「南蛮渡来」の第一曲目を飾るファンキーな一曲です。

ギターのOTO(村田尚紀)が刻むファンク・ビートに江戸アケミの暴力的なヴォーカルが聴く者を煽情するかの如く「みんないい人、あんたいい人/いつもいい人、どうでもいい人/今宵限りでお別れしましょう」とか「せこく生きてちょうだい」、また、「日本人てくらいね」などなど、いづれも、強烈な言葉で、アグレッシブに聴く者を煽情します。

そこに、暗黒大陸じゃがたらの、若しくは、江戸アケミの覚悟のようなものを感じ、進むべき方向はファンクしかないというようなかなり思いつめたものを感じずにはいられません。

江戸アケミは、36歳の若さでこの世を去ります。その為にJAGATRAの曲全てに言える事なのですが、どれも江戸アケミの遺言に聞こえてしまう、それだけ、リズムに乗せて言葉を発せずにはいられなかった、江戸アケミの「存在」に対する真摯な態度が煽情的な言葉となって発せられているように思います。

この「でも・デモ・DEMO」は、そんな江戸アケミの「世界」に対する宣戦布告に違いありません。

暗黒大陸じゃがたら 一

2013年8月12日 Posted by seki

暗黒大陸じゃがたらは後の「JAGATARA」の前身バンドです。じゃがたらがその産声を上げたのは1979年、3月8日、江戸&じゃがたらとしてギグのようです。ギターにEBBY(永井章)、ベースに渡辺正巳が参加してじゃがたらお春と改名、アマチュア・ロックコンテストを荒らしまわり、審査員に毒づいたりと酷かったようです。江戸アケミ(vo)はあばれに暴れたようです。

1980年に財団呆人じゃがたら、財団法人じゃがたらとバンド名を変えてゆきます。パンキッシュで暴力的なライブを次々と行い、時にシマヘビを、時に鶏を食いちぎり、全裸で放尿し、それを飲み、まだ脱糞し、椅子を振り回し、客を追いかけ回したりと、江戸アケミの自虐的なステージは暴力に満ち、ヒューマニティの否定にあったようで、時に出血多量で救急車で運び出されることもあったと言います。

81年、4月に初シングル「LAST TANGO IN JUKU/ロックを葬り去る歌ヘイ・セイ」を発表。この時に、江戸アケミの過激なパフォーマンスがマスコミなどで話題となり、そのゲテモノ見たさの客ばかりとなり、江戸アケミは、それに嫌気がさし、音楽で勝負することを決意します。

ロバート・ジョンソン 九(終わり)

2013年8月9日 Posted by seki

「Traveling Riverside Blues」

「If your man get personal want you to have your fun」とボトルネック奏法が冴えるギター演奏で歌われるこの歌は、こちらもブルースの巨人、サンハウスへとつながる系譜のデルタ・ブルースの代表曲と言ってもいい一曲です。

「Honeymoon Blues」

「Betty Mae,Betty Mae you shall be my wife someday」と歌い出されるこの一曲は、気持ちよさそうに歌うロバート・ジョンソンの歌声が何とも言えない味わいを醸し出していて、おもしろいコード進行を見せます。惚れた女性に結婚を申し出る男の率直な言い回しをブルースにして歌って見せた秀曲です。
「Love In Vain」

「And I followed her to the station」と気怠く歌うロバート・ジョンソンの哀愁のようなものが歌声に漂い、何度となくリフレインされる「All my love’s in vain」というフレーズにロバート・ジョンソンの人生が見えるような一曲です。この曲にはテイク2もあり、どちらも哀愁に満ちた作品です。
「Milkcows Calf Blues」

「Tell me,milk cow what on Earth is wrong with you ?」とボトルネック奏法が冴え渡るギターに載せて力強くも楽しそうに歌われるロバート・ジョンソンの歌声は、何か聞くものを煙に巻いているかのようにも聞こえ、しかし、ロバート・ジョンソンの歌声に備わっている哀愁のようなものはどうしても露わになる一曲です。テイク2もあり、この「THE COMPLETE RECORDRINGS/ROBERT JOHNSON」の最後を飾るのに名残惜しい一曲となっています。

以上、ロバート・ジョンソンの全レコーディング録音の二枚組アルバム「THE COMPLETE RECORDRINGS/ROBERT JOHNSON」を聴いてきましたが、ロバート・ジョンソンの曲は、深夜独りで酒でも飲みながらじっくりと聴くと、どうしようもなく、心に染み入る名曲ぞろいです。デルタ・ブルースに興味がある方は、是非、ロバート・ジョンソンの作品を聴いてみてください。しかし、派手なロック好きにはまったくつまらない作品かもしれませんので、その点はご了承ください。

次回からJAGATRAを取り上げます。

ロバート・ジョンソン 八

2013年8月7日 Posted by seki

「Drunken Hearted Man」

「I’m a drunken hearted man my life seem so misery」

と飄々と歌い出すロバート・ジョンソンの歌声は、哀しみを知り尽くした風格さえ漂う佳作となっています。ウォーキングベースが独特で、何とも言えないさみしい感じを漂わせた一曲となっています。

また、テイク2では、キーが変わったものが収められていて、人生の艱難辛苦を嘗め尽くしたロバート・ジョンソンにしか歌えない作品です。

「Me and The Devil Blues」

「Early this mornin’ when you knocked upon my door」

と「悪魔と並んで歩いた」とふてぶてしく歌うロバート・ジョンソンの歌声は、シンプルなウォーキングベースのギター演奏と相まって、デルタ・ブルースのルーツを聴くような味わいがある歌を披露しています。

テイク2もあり、聴き比べるも乙なものです。

「Stop Breakin’ Down Blues」

「Everytime I’m walkin’ down the streets」とどちらかというとアップテンポに歌うロバート・ジョンソンは、女性にもてたようで、そのさまを「かっとなるのはやめてくれ」と懇願するように歌っています。

テイク2は、テイク1と変わりないように聞こえますが、テイク2ではどこか緊張しているような歌言ぶりが聴き取れます。とはいえ、独特のウォーキングベースが出た・ブルースの神髄を聴かせています。

ロバート・ジョンソン 七

2013年8月5日 Posted by seki

「Hellhound On My Trail」

ギターとユニゾンに近い演奏をしながら「地獄の猟犬が付き纏う」と不吉な内容の歌詞を謳うロバート・ジョンソンは、何か預言者風なおもむきがあり、その不吉な内容の歌詞をどこ吹く風と言ったふてぶてしく歌い、更にこの歌の不気味さを際立出せています。

「Little Queen Of Spades」

「Now,she is a little queen of spades and the men will not let hjer be」と歌い出すロバート・ジョンソンの歌声は、どこかこの「魔性の女」の「queen of spades」らどうしても魅かれてしまう男の悲哀を謳っています。テイク2がなんだか生々しく感じられ、ロバート・ジョンソンの人生の一端を見るような歌です。

「Malted Milk」

「I keep drinkin’ malted milk tryin’ to drive my blues away」と何とも意味深に歌いだされるこの曲は、時に初とするようなフレーズをギターが奏でられ、それが、アクセントになってデルタ・ブルースの味わいをどっぷりと醸し出しています。ロバート・ジョンソンの歌には、何か人を超えた神かがり的なものが感じられ、どの曲も強烈なロバート・ジョンソン節が炸裂します。