Category: ‘佐村河内守’

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 (終わり)

2013年7月17日 Posted by seki

第三楽章は、静謐な調べの後に、弦楽器による荘重な調べとともに再び音圧がせり上がってきます。ある日とはこれをブルックナー的な、と表現していますが、確かに、その雄渾な調べは、怒涛の如く音が逆巻き、新たな始まりを予感させるものです。

トランペットと打楽器のもつれあいは、確かに何かが立ち上がった事を示しますが、然し、やがてそれも崩れ去り、再び静謐な調べに変わります。

しかし、一度この世に出現したものは、最早、その存在を消し去ることができずに、高らかに鳴り響くトランペットとともに「希望」の旋律が鳴り響き、最後へと一気に駆け抜けるように、しかし、その歩調は、どっしりとしたもので、確かにこの大地にたったものが、未来に向けて立ち向かってゆくさまを彷彿とさせます。

この佐村河内守氏の交響曲第一番「HIROSHIMA」は、現代音楽を避けるようにして生まれた作品で、しかし、随処に現代音楽要素が見え隠れしながら、作曲者の心の襞がはっきりと解かるかのようにマーラーの交響曲に匹敵するドラマチックな進行に心打たれ、また、圧倒されるのです。

最後の終わり方は、将に「希望」を感じさせるにふさわしい終わり方です。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 六

2013年7月12日 Posted by seki

「希望」とされる第三楽章は、冒頭、第二楽章の「絶望」を無理油矢理にでも振り切るかの如く力強く進行してゆきます。弦楽器で輪郭のくっきりと第一楽章に現われた主題が奏でられます。意を決して立ち上がった存在が、勇猛果敢な足取りでどしんどしんと歩く様にも似ていますが、まだ、「絶望」を振り切れずにいます。

そして、第二楽章で現われた動機も何やら逃走するかの如くに奏でられます。この第三楽章は、ホルストの「惑星」を思わせるような響きがあります。

第一楽章の第二主題、そして第一種ダイスもこの第三楽章に再び出現しますが、それは、弦楽器の最高音と最低音との分裂しながら、しじまの中に沈んでゆきます。そして、さまざまな動機が断片的に表れては消えるのを繰り返しながら、「絶望」以前の世界に再び立ち戻って「運命」を受け容れながら、そこに「希望」を見出すかのように心静かな音楽世界が展開してゆきます。この第三楽章では、これまでになかった静謐な音楽世界が奏でられます。つまり、心が浄化されるかのようにです。(続く)

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 五

2013年7月9日 Posted by seki

第二楽章冒頭にもホルンが鳴り響きます。これが、呪われた存在を何となく呼び起こすのです。そして、楽曲は重々しく進行してゆき、その足取りは重たいのです。リズムは、次第に細分化してゆきます。これが、なんとも悩ましげで、気怠いのです。第二楽章でも何度となく主題が変奏されてゆきますが、これは、「死」を何となく呼び起こすようなロンドなのです。

第二楽章では、第一楽章で出現した「運命」の主題が、何度となく呼び出されることでそれが「絶望」の慟哭のように感じられるのです。それを慰めるように管楽器が優しく語り掛けるのですが、それすらをも「絶望」は拒絶するように感じられます。

次第に「絶望」の深淵の中へともんどりうって雪崩れ込むように主題は、陰鬱なまま、奏でられます。

この第二章では、しかし、「絶望」の中に幽かながらも一条の閃光が煌めく如くに、激しい旋律がほとばしります。この第二楽章は、シュニトケを思わせるものがあります。管楽器の響きや幻月期の奏で方などにシュニトケを思わせる何かがあります。

それは、闇の中に置かれたもののみが知る「絶望」なのです。第二楽章は、不安な響きで突き進みます。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 四

2013年7月5日 Posted by seki

果たして、誕生せし者は呪われているのか。そんなことを想像させる余りに悲しい主題の陰鬱で美しい旋律に聴く者の魂は共振を起こし、心内に隠れていた感情をこの第一楽章は呼び起こしてくれます。

マーラー、ベートーヴェン、チャイコフスキー、武満徹、ショスタコーヴィチなど、音楽史に燦然と輝く先達の旋律すらをも仄かに彷彿とさせながらも、佐村河内守独自の主題は、もんどりうつように重い足取りで尚も前進してゆきます。

弦楽器と管楽器とのコラボレーションで不協和音を奏でながら、その生まれし者の「運命」が一筋縄ではゆかない、苦悩を予兆させながら、第二楽章へと進んでゆきます。

第二楽章は、「絶望」が奏でられているということです。出だしの静寂が包み、遠くから管楽器の音が聴こえてくるその響きは、これから訪れるであろう、煩悶を予兆させます。ここでは、武満徹張りの音響表現があり、魂の振幅の振れ幅がだんだんと大きくなってゆくさまが、不吉です。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 三

2013年7月2日 Posted by seki

佐村河内守のこの交響曲第一番「HOIROSHIMA」は、まず、静かにティンパニのロールとともに始まります。これは何かの不吉な予兆にも思われ、存在が生まれてしまう「運命」を抱きしめるように主題が奏でられます。

そして、トランペットが、高らかに鳴り響いたかと思うと、陰鬱なヴァイオリンの調べが流れます。

そして、鐘の音がなり、新たな存在の誕生を告げます。ここでは、オーケストラ全体で重低音を鳴り響かせ、陰鬱な主題を奏で続けます。

と、突然、晴れやかに主題が弦楽器で奏でられ、この存在した者の行くに対する不安が綴られてゆくようです。この辺りは、伝統的な交響曲に則った構成となっていて、聴く者を何とも意味深長な思索へと駆り立てます。

そして、消えては現われ、また、消えては現われる主題は、生まれし者の哀しい性のようなものをこの主題で描き出そうとしているかのようです。

「運命」は既に動き出してしまいました。もう、何者に求められないのです。主題は、変調を繰り返しながら、転がるようにもんどりうって奏でられてゆきます。

しかし、第一楽章始まりは、ある覚悟が感じられます。それは、陰鬱なものなのですが、しかし、誕生してしまった以上、生きねばならぬという覚悟が主題を奏でるそれぞれの楽器から放たれます。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」二

2013年6月28日 Posted by seki

この交響曲第一番「HIROSHIMA」は、全体が75分ほどを要する大作となっています。全体は3楽章でできていて、楽章間には主題や動機の共有が聴けるので、全体が一貫性を持った壮大な交響曲になっています。

しかし、この無調の楽曲が主流の現代音楽の中で、佐村河内守は、この格調高い交響曲を書かなければならなかったのでしょうか。それは、思うに、彼が被爆二世として生まれた出自に関係した佐村河内守の心の奥底で、いつも鳴り響いていた主題が、どうしても絶えず轟音が鳴り響いていると言う佐村河内守の作曲するのさえ困難な状態にある中で、全体に美しい主題が鳴り響くことで、やつと精を繋いだ結果に生まれた作品が此の交響曲第一番「HIROSHIMA」だったのではないかと思えます。

佐村河内守は、第一楽章を「運命」、第二楽章を「絶望」、第三楽章を「希望」と語っています。確かに、この交響曲第一番を聴くと、音楽に関しての知識がなくても佐村河内守が述べている「運命」「絶望」「希望」が音に憑依したかのような圧倒的な迫力で迫って来て、それは、聴く者の魂を掴んで離しません。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 一

2013年6月25日 Posted by seki

ジャンルを問わずに私の好きな楽曲を取り上げながら、言葉で音世界を何とか描き出すことを試みながら、音楽作品が持つ魅力を伝えるブログです。

佐村河内守 一

現在、大注目の現代音楽の作曲家、佐村河内守氏は被爆二世の作曲家です。現在聴力を失っていますが、幼いころに母親にみっちりと叩き込まれた絶対音感のみを頼りに作曲しています。

その佐村河内守氏作曲の交響曲第一番「HIROSHIMA」(2003年)は、佐村河内氏が初めて交響曲に着手した作品で、それは、佐村河内氏が偏頭痛や聴覚障害を始めに感ずることになった17歳にさかのぼると言われています。この「HIROSHIMA」の陥穽には、実に20年以上の月日が流れていることになります。その間に、佐村河内氏は全聾になってしまいました。

その為に、佐村河内氏は、「現代のベートーヴェン」と言われていますが、その苦痛といったならば、筆舌尽くしがたいものに違いありません。佐村河内氏は現在、十数種類の薬を服用しながら、作曲が出来るほんのわずかな時間を全身全霊を込めて作曲しています。その様子は、テレビでドキュメンタリーとして放送されていますので、知っている人も多いと思います。