Archive for: 𔃷月 2013’

ロバート・ジョンソン 五

2013年7月31日 Posted by seki

「Cross Road Blues」

この曲は、エリック・クラプトンなどがカバーしている名曲中の名曲です。この曲で、ロバート・ジョンソンのボトルネック奏法は全開です。「I went to the crossroad fell down on my knees」と歌うロバート・ジョンソンの歌声の呪術的な聞くものを掴んで離さない魅力があふれる名曲です。この曲には、荒々しいテイク1と、ゆったりとしたテイク2があり、どちらも聞きごたえ十分です。

「Walking Blues」

この曲もロバート・ジョンソンのボトルネック奏法が味わい深い名曲です。後にサンハウスなど、多くのブルースマンがカバーしている一曲です。「I woke up this mornin’ fellin’ round for my shoes」と歌い始めるその歌声に一発で魅了されてしまう名曲です。

「Last Fair Deal Gone Down」

この曲もロバート・ジョンソンのボトルネック奏法と、ストローク奏法が生き生きとした一曲です。「It’s the last fair deal goin’ down」と歌うロバート・ジョンソンの歌声は、水を得た魚のように表情豊かに聴く者の心を捕えて離しません。

「Preaching Blues(Up Jump The Devil)」

スピード感あふれるボトルネック奏法が何とも言えない妙味を醸し出している一曲です。この一曲は、ロバート・ジョンソンのギターが独壇場で、このギターの演奏を超えるギター奏者は今もって嗤われていないように思います。それだけ、ギターを弾きまくるロバート・ジョンソンは、その陰惨な歌詞を笑い飛ばすように歌い上げています。

ロバート・ジョンソン 四

2013年7月29日 Posted by seki

「Phonograph Blues」

相変わらずのウォーキングベースが冴えた一曲です。ロバート・ジョンソンの甲高い声から始まる一曲です。テイク1は、少し落ち着いた一曲として収められていますが、テイク2は、ロバート・ジョンソンが荒々しく歌っていて、情熱的です。ストローが冴え渡り、「phonograph」と歌うその様は、最早、ロバート・ジョンソンの独壇場です。

「32-20 Blues」

カッティングしたようなウォーキングベースが格好いい一曲です。曲が進むうちに、ロバート・ジョンソンは、我慢できずに、曲にアドリブ的な要素が加えつつ、とても情緒的な味わい深い一曲となっています。

「They’re Red Hot」

ストロークが何とも言えない味わいを醸し出す一曲です。ロバート・ジョンソンの歌声は、わざとしわがれた声っぽく歌っていて、ユーモアを醸し出しています。時折顔を出す、ロバート・ジョンソンの地声を織り混ぜるなど、やりたい放題の面白い一曲です、其処に魅力がある楽しい一曲です。

「Dead Shrimp Blues」

相変わらずの安定したウォーキングベースで、「I woke up this mornin’-nnn」と歌いだされ、何の飾りもないブルースに徹した一曲と言えます。ウォーキングベースにコードのカッティングなど、フィンガーピッキングの良さが前面に出た味わいのある一曲に仕上がっています。デルタ・ブルース・ブルースは、この一曲が一つの典型です。そして、もう一つが、ボトルネック奏法ですが、それは、次回に譲ります。

ロバート・ジョンソン 三

2013年7月28日 Posted by seki

「When You Got A Good Friend」

これもウォーキングベースが冴え渡る一曲です。ロバート・ジョンソンの歌声も「When You Got A Good Friend」と高音で歌い出し、チョーキングしてのコードを奏でるところなど何とも印象的です。これぞ、「デルタ・ブルースの基本」ともいえる一曲です。この曲には、「THE COMPLETE RECORDRINGS/ROBERT JOHNSON」には別テイクも収録されています。

「Come On In My Kitchen」

ギターと歌合がユニゾンのように歌われ、また、ボトルネック奏法もロバート・ジョンソンならではもの悲しい味わいの秀逸な一曲です。こんな風にギターと語るように歌が歌えたならば、と思わせる程にギターと歌声がぴったりと合ったナンバーです。これも「THE COMPLETE RECORDRINGS/ROBERT JOHNSON」には別テイクが収録されていて、別テイクは、ボトルネック奏法が荒々しく弾かれていて荒削りな一曲です。しかし、別テイクの方がロバート・ジョンソンの素が見えるようで侮れないテイクです。

「Terraplane Blues」

この曲は、ストロークがさえまくる一曲です。そこにボトルネック奏法の音色が印象的に響き、唸るように歌われるロバート・ジョンソンの歌声がノリノリな一曲です。こなれたギター演奏は、言うまでもなく、気持ちよさそうに歌うロバート・ジョンソンの魅力に圧倒される一曲です。

ロバート・ジョンソン 二

2013年7月24日 Posted by seki

・「I Believe I’ll Dust My Broom」

この曲は、ロバート・ジョンソンのギターが冴え渡る一曲です。ブルース・ギターの基本が既にこの曲で完成しています。ギターにのせて、気持ちよさそうに歌うロバート・ジョンソンの歌声が格好いい一曲です。しかし、ロバート・ジョンソンは、真夜中に聞くと火心に染み入ります。

「Sweet Home Chicago」

この一曲もまた秀逸です。ウォーキングベースと呼ばれるブルース・ギター特有のフィンガーピッキング奏法が、素晴らしくし、シカゴへの思いが歌いあげられています。ロバート・ジョンソンの歌声は、相変わらず、甲高くも哀愁がある独特の渋みが効いた歌合を披露しています。これまた、格好いい一曲です。

「Rambling On My Mind」

さりげない、ボトルネック奏法が光る一曲です。ウォーキングベースを弾きながらのボトルネック奏法は、意外と難し問いものなのですが、ロバート・ジョンソンは、こともなげに簡単にギターを弾きこなしています。歌合は、このあたりから一段とのってきたのか、素晴らしいものです。この曲には、別テイクが「THE COMPLETE RECORDRINGS/ROBERT JOHNSON」には収録されています。個人的には、ハチャメチャぶりが垣間見える2テイク目の方が荒っぽくて好きです。

ロバート・ジョンソン 一

2013年7月22日 Posted by seki

「Kindhearted Woman Blues」

アメリカの手前節的なブルースマン、ロバート・ジョンソンは、わずかに27年の生涯でしたが、その彼が遺した僅か29曲(41テイク)です。それが、エリック・クラプトンをはじめ、構成の音楽家に多大な影響を遺したのは、言うに及びません。

ロバート・ジョンソンは1911年、ミシシッピ州ヘイズルハーストに生まれ、1929年、まだ、16歳だったヴァージニア・トラヴィスと結婚し、彼女は、二人の子供を身ごもりますが、ヴァージニアは、出産の際に子供とともになくなってしまったのです。

そして、ロバート・ジョンソンは生ギター一本でブルースの弾き語りをして、アメリカ大陸中を渡り歩いていたのです。その中で、ロバート・ジョンソンの人並み外れたギター・テクニックに驚いた人たちから、ロバート・ジョンソンはいつしか「十字架で悪魔に魂を売るのと引き換えにギター・テクニックを身につけた」という伝説が生まれたのです。これが、「クロスロード伝説」です。

今回取り上げた「Kindhearted Woman Blues」は、「THE COMPLETE RECORDRINGS/ROBERT JOHNSON」の第一曲を飾る一曲です。この一曲で、ロバート・ジョンソンのピアノからそのテクニックを磨いたというギター・テクニックは言うまでもありませんが、ロバート・ジョンソンの甲高い声が哀愁を帯びて響き、δ・ブルースの神髄が堪能でせきます。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 (終わり)

2013年7月17日 Posted by seki

第三楽章は、静謐な調べの後に、弦楽器による荘重な調べとともに再び音圧がせり上がってきます。ある日とはこれをブルックナー的な、と表現していますが、確かに、その雄渾な調べは、怒涛の如く音が逆巻き、新たな始まりを予感させるものです。

トランペットと打楽器のもつれあいは、確かに何かが立ち上がった事を示しますが、然し、やがてそれも崩れ去り、再び静謐な調べに変わります。

しかし、一度この世に出現したものは、最早、その存在を消し去ることができずに、高らかに鳴り響くトランペットとともに「希望」の旋律が鳴り響き、最後へと一気に駆け抜けるように、しかし、その歩調は、どっしりとしたもので、確かにこの大地にたったものが、未来に向けて立ち向かってゆくさまを彷彿とさせます。

この佐村河内守氏の交響曲第一番「HIROSHIMA」は、現代音楽を避けるようにして生まれた作品で、しかし、随処に現代音楽要素が見え隠れしながら、作曲者の心の襞がはっきりと解かるかのようにマーラーの交響曲に匹敵するドラマチックな進行に心打たれ、また、圧倒されるのです。

最後の終わり方は、将に「希望」を感じさせるにふさわしい終わり方です。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 六

2013年7月12日 Posted by seki

「希望」とされる第三楽章は、冒頭、第二楽章の「絶望」を無理油矢理にでも振り切るかの如く力強く進行してゆきます。弦楽器で輪郭のくっきりと第一楽章に現われた主題が奏でられます。意を決して立ち上がった存在が、勇猛果敢な足取りでどしんどしんと歩く様にも似ていますが、まだ、「絶望」を振り切れずにいます。

そして、第二楽章で現われた動機も何やら逃走するかの如くに奏でられます。この第三楽章は、ホルストの「惑星」を思わせるような響きがあります。

第一楽章の第二主題、そして第一種ダイスもこの第三楽章に再び出現しますが、それは、弦楽器の最高音と最低音との分裂しながら、しじまの中に沈んでゆきます。そして、さまざまな動機が断片的に表れては消えるのを繰り返しながら、「絶望」以前の世界に再び立ち戻って「運命」を受け容れながら、そこに「希望」を見出すかのように心静かな音楽世界が展開してゆきます。この第三楽章では、これまでになかった静謐な音楽世界が奏でられます。つまり、心が浄化されるかのようにです。(続く)

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 五

2013年7月9日 Posted by seki

第二楽章冒頭にもホルンが鳴り響きます。これが、呪われた存在を何となく呼び起こすのです。そして、楽曲は重々しく進行してゆき、その足取りは重たいのです。リズムは、次第に細分化してゆきます。これが、なんとも悩ましげで、気怠いのです。第二楽章でも何度となく主題が変奏されてゆきますが、これは、「死」を何となく呼び起こすようなロンドなのです。

第二楽章では、第一楽章で出現した「運命」の主題が、何度となく呼び出されることでそれが「絶望」の慟哭のように感じられるのです。それを慰めるように管楽器が優しく語り掛けるのですが、それすらをも「絶望」は拒絶するように感じられます。

次第に「絶望」の深淵の中へともんどりうって雪崩れ込むように主題は、陰鬱なまま、奏でられます。

この第二章では、しかし、「絶望」の中に幽かながらも一条の閃光が煌めく如くに、激しい旋律がほとばしります。この第二楽章は、シュニトケを思わせるものがあります。管楽器の響きや幻月期の奏で方などにシュニトケを思わせる何かがあります。

それは、闇の中に置かれたもののみが知る「絶望」なのです。第二楽章は、不安な響きで突き進みます。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 四

2013年7月5日 Posted by seki

果たして、誕生せし者は呪われているのか。そんなことを想像させる余りに悲しい主題の陰鬱で美しい旋律に聴く者の魂は共振を起こし、心内に隠れていた感情をこの第一楽章は呼び起こしてくれます。

マーラー、ベートーヴェン、チャイコフスキー、武満徹、ショスタコーヴィチなど、音楽史に燦然と輝く先達の旋律すらをも仄かに彷彿とさせながらも、佐村河内守独自の主題は、もんどりうつように重い足取りで尚も前進してゆきます。

弦楽器と管楽器とのコラボレーションで不協和音を奏でながら、その生まれし者の「運命」が一筋縄ではゆかない、苦悩を予兆させながら、第二楽章へと進んでゆきます。

第二楽章は、「絶望」が奏でられているということです。出だしの静寂が包み、遠くから管楽器の音が聴こえてくるその響きは、これから訪れるであろう、煩悶を予兆させます。ここでは、武満徹張りの音響表現があり、魂の振幅の振れ幅がだんだんと大きくなってゆくさまが、不吉です。

佐村河内守 交響曲第一番「HIROSHIMA」 三

2013年7月2日 Posted by seki

佐村河内守のこの交響曲第一番「HOIROSHIMA」は、まず、静かにティンパニのロールとともに始まります。これは何かの不吉な予兆にも思われ、存在が生まれてしまう「運命」を抱きしめるように主題が奏でられます。

そして、トランペットが、高らかに鳴り響いたかと思うと、陰鬱なヴァイオリンの調べが流れます。

そして、鐘の音がなり、新たな存在の誕生を告げます。ここでは、オーケストラ全体で重低音を鳴り響かせ、陰鬱な主題を奏で続けます。

と、突然、晴れやかに主題が弦楽器で奏でられ、この存在した者の行くに対する不安が綴られてゆくようです。この辺りは、伝統的な交響曲に則った構成となっていて、聴く者を何とも意味深長な思索へと駆り立てます。

そして、消えては現われ、また、消えては現われる主題は、生まれし者の哀しい性のようなものをこの主題で描き出そうとしているかのようです。

「運命」は既に動き出してしまいました。もう、何者に求められないのです。主題は、変調を繰り返しながら、転がるようにもんどりうって奏でられてゆきます。

しかし、第一楽章始まりは、ある覚悟が感じられます。それは、陰鬱なものなのですが、しかし、誕生してしまった以上、生きねばならぬという覚悟が主題を奏でるそれぞれの楽器から放たれます。